わたしたちについて

女性協同法律事務所は、
女性弁護士による女性の権利のための
法律事務所です。

女性協同法律事務所マーク

福岡市天神に、女性弁護士による女性のための法律事務所を開設して四半世紀。
私たちはいつも、一人一人の女性が、その人らしく生きていくためにお役にたちたいと考えてきました。
人生のなかで、思わぬトラブルにあいそうな時、あるいはあってしまった時、立ち止まり、途方にくれてしまうかもしれません。
そんな時、できれば私たちがいることを思い出して下さい。
何をどうしたらいいかわからない時や、いま抱えている問題が、そもそも法律的な解決ができる問題なのかどうかわからない時でもかまいません。
秘密の守られる場所で、落ち着いて一緒にお話をし、その先のことを考えましょう。必ず新しい明日はやってきます。まず、はじめの一歩を踏み出すために、どうぞ御遠慮なく、私たちにお声かけ下さい。

わたしたちのポリシー

女性協同法律事務所は、女性弁護士による、女性の権利を守るための事務所として、1989年1月、福岡市に開設されました。女性弁護士だけが所属する法律事務所としては、日本最大級の事務所です。

 

当事務所は、平和・平等・個人の尊厳を守ること、特に女性の権利を守ることを事務所のポリシーとし、メンバー全員がここに軸足をおいて活動することとしてきました。

 

私たちはこのポリシーに則り、全国で初めての「セクハラ」を争点とした訴訟と評される福岡セクシュアル・ハラスメント訴訟をはじめとして、セクシュアル・ハラスメント、DVを含めた離婚、性暴力、ストーカー、労働問題など女性の権利にかかわる問題について、多数の支援者・関係専門職などの皆様(相談員・カウンセラー・臨床心理士・医師など多分野の方々)と連携をしながら、事務所全体で取り組んできました。特に離婚事件については、女性の置かれている社会的状況に配慮しながら、正当な権利の実現のために努力してきました。

 

また、身近な人権課題に取り組む弁護士として、一般的な法律相談全般を受けながら、憲法9条や24条を護ること、子どもの権利、医療問題、薬害問題、じん肺やアスベストの問題、SOGI(LGBT)にかかわる様々にも取り組んできています。

 

こうした課題について私たちは、ご相談者・ご依頼者の皆様の意思決定を尊重しながら伴走をし、それぞれの方らしい、より望ましい解決をしていただけるよう努めています。

加えて、企業・市民団体、行政・議会関係者の皆様との対話・講演・イベント開催などを通じ、私たちもまた、皆様の視点・思いを知り、学び、歩みを進めています。

 

私たちのポリシーに共感をいただいた皆様のお力添えも受けて、この30年でのご相談件数は1万件を超えました。

 

所属弁護士と事務所スタッフの増員、弁護士法人化、医師・カウンセラー・女性支援団体・司法書士・税理士など他の専門の方々との連携などを経て、よりスピーディーかつ安定的・長期的に、皆様のご相談やご依頼にお応えできるようになりました。

わたしたちの歴史

設立当時の様子について

当事務所は、辻本育子弁護士と原田直子弁護士により、1989年1月に設立されました。設立と同じくして、昭和が終りを告げ、平成元年となりました。設立当時は、法律事務所の多くが、まだ、弁護士の名前を事務所名とし(鈴木法律事務所・佐藤法律事務所など)、紹介者がいなければ法律相談を受け付けていませんでした。


そのような中で、多くの女性にとっては、法律上の問題を相談する先を探すことは難しいことでした。離婚をはじめとした家庭内の問題を抱えた女性は、夫の職場の顧問弁護士といった伝手を頼ることもできず、弁護士への相談にたどりつけないということが多々ありました。
一方、社会に出て仕事をしている女性は今よりもまだまだ少ないとはいえ、1985年には女性差別撤廃条約の批准、雇用機会均等法の制定へと動いており、女性と国際化がキーワードとなる時代でした。
そんな時代に、社会の色々な場所で活躍し始めた女性たちがぶつかる様々な問題に、女性の視線でご相談を受けたい、そんな事務所にしたいと考え、「女性の弁護士がここにいます!」という意味を込めて、「女性協同法律事務所」と名付けました。婦人ではなく、女性としたのも、性別役割分業にとらわれない(婦人の婦は女偏に箒と書き女性の役割を象徴します)考え方を示したかったのです。


事務所開設当時は、女性による女性のための法律事務所が設立されたとして、大きく報道をされました。報道後10年たってもなお、色褪せて、しわくちゃになった新聞の切り抜きを握りしめてご相談に来られる女性たちがいらっしゃいました。
彼女たちは口々に、「何かあった時には、ここに行こうと思って」と、長年その切り抜きを密かに持って、辛い日々を耐えてこられた思いを語られました。


時代は変わり、現代は、弁護士にアクセスのしやすい情報化社会となりましたが、私たちの気持ちは変わりません。
やはり「何かあった時には、ここに行こう」と思って気持ちの支えにしていただける事務所、それぞれの方の人生の再出発に伴走する事務所でありたいと思っています。

福岡セクシュアル・ハラスメント訴訟について

1989年1月、女性協同法律事務所が誕生したという報道を見て、一人の若い女性が相談に来られました。相談内容は、出版社勤務をしていた女性が、職場で編集長から、言葉による性的嫌がらせを受けて、専務や社長にも被害を訴えたが、会社は加害者をかばい、結局彼女が退職に追い込まれたため、編集長相手に名誉毀損で裁判をしたいというものでした。


この相談を受けた辻本は、この問題の本質は、性差別であると考えました。つまり、女性は有能であることが望ましいが、あくまで縁の下の力持ちであり、男性上司を立てて働くことが求められている。彼女はそれに反して上司を批判したりしたから排除されてしまった。それこそ、女性労働者への性差別だというものです。
また、彼女を排除する方法として「夜遊び」とか「不倫」というレッテルを張るのも、女性差別の一つです。男性の浮気は笑い話になるのに(当時は男の浮気は甲斐性と言われていました)、女性は不倫と言われて人格批判につながるのは、性に関するダブルスタンダードが存在するからです。
相談者と編集長との間の個人的なトラブルとして、ただ名誉毀損の裁判を起こしても、セクシュアル・ハラスメントという概念もなかった当時の職場ではごく当たり前のどこでもあることで、みんながそういう中で働いているのだから「受忍限度の範囲内」であると判断されて、裁判は負けるだろうと考えました。


そこで、辻本は、彼女に、勝つ可能性が高いとはいえないけれども、もし裁判をするのなら、この件は性差別だとして、編集長だけでなく会社も訴え、女性の働き方を問い直す裁判にして、同じような被害を日々受けている女性たちの支援を受けて進めるべきだと説明し、広く支援者を募ることを勧めました。そして、辻本と原田は、弁護士も女性の力を広く結集しなければ闘えないと思い、当時の福岡県弁護士会に所属する女性弁護士全員で弁護団を組むことにして、参加を呼びかけました。


しかし、当初は、女性弁護士でも、これがどうして性差別なのという疑問を呈する人がいる状況で、性差別であることを裁判所に理解して貰うことはなかなか困難に思われました。
そういう中で、東京の女性団体が翻訳した、アメリカの女性労働者向けに作られたパンフレットに出会ったのです。そこに紹介されていた概念こそ、「セクシュアル・ハラスメント」でした。欧米では当時、「セクシュアル・ハラスメント」が性差別の一種として認められていたのです。日本と欧米では法体系は違いますが、人権について国境はありません。欧米で差別なら、日本でも差別です。


「セクシュアル・ハラスメント」という概念をつかって裁判をしようと決まると、準備は急速に進みました。支援団体も弁護団(東京からも1名参加)もでき、その年の8月5日に、被告を編集長と専務、雇い主の会社として、我が国初のセクシュアル・ハラスメント裁判が始まったのです。
この裁判が社会の注目を集めたのは、「セクシュアル・ハラスメント」という概念が目新しかったからだけではありません。日本全国、多くの女性が感じていた不快感を、それはダメ!と明確にしたことで、女性たちの共感を集めました。同じような被害を受けた被害者が加害者を訴えた裁判はそれまでもありました。けれども、雇い主を訴えたのはこれが初めてだったのです。会社の責任を追及しなければ、性差別のない職場環境に改善していくことはできません。


1992年4月16日、福岡地方裁判所は、勤務先会社と上司たちの責任を認め、女性に対する損害賠償を命じました。
この判決に最大のショックを受けたのは、使用者団体で、マスコミはこれを「セクハラ・ショック」と呼びました。
この裁判は、裁判の支援団体が作った記録集の題名にもなっていますが、いわばそれまでの「職場の常識を変える」裁判でした。
その後、セクシュアル・ハラスメント裁判が相次ぎ、均等法のなかに、事業主のセクシュアル・ハラスメント防止規定がもりこまれることになっていきました。

女性弁護士が働き続けられる法律事務所に

事務所創設時の願いの一つには、女性弁護士が働き続けられる法律事務所にしたいという思いもありました。弁護士には性差別はないと思っていましたが、やはり法律事務所にも、出産や育児で仕事一筋とはいかない女性弁護士を敬遠する傾向がありました。辻本も原田も、若い弁護士が子育てをしながら弁護士の仕事を中断することなく、柔軟に仕事ができる事務所でありたいと思っていました。
当初2人だった女性協同法律事務所は、次々に新しい仲間を迎えました。
セクシュアル・ハラスメント、DVをはじめとする離婚問題や性犯罪事件の被害者支援など女性に寄り添う事件のみならず、肝炎訴訟、医療過誤、職業病訴訟、いじめや虐待問題、年金問題など、それぞれの弁護士が、いろいろな方々との出会いの中で、活躍しています。また、憲法・平和問題も大切にしています。
各分野に取り組みながら、女性問題を軸として「協同」していく〜女性協同法律事務所はそんな法律事務所に成長しました。

2019年3月14日、福岡セクシュアル・ハラスメント訴訟を契機として、福岡の女性の権利の実現のために、ともに尽力してきた皆様から、「女性協同法律事務所 30周年を祝う会」記念集会を開催していただくことができました。角田由紀子弁護士(福岡セクハラ訴訟弁護団員)、牟田和恵教授(支援団体代表・大阪大学大学院人間科学研究科教授)をはじめとして、その後の事務所の歩みのなかでご縁のあった、大学の先生方、議員、医師・カウンセラー・各種相談・支援員の方たち、法律家など、女性の権利や平和維持のための活動をされている100名を超える方々にお集まりいただき、これまでの活動を振り返ることができました。


2020年4月現在、9人の弁護士事務所となって、六本松に新しい事務所を構えました。多数の方たちに支えられていることに感謝をしながら、皆様とともに、これからも女性の権利を護るためにできることをしていきたいという決意を新たにしました。